認知症鉄道事故裁判を介護職の視点で考察する

もう何年も前になりますが、認知症をわずらった高齢者の方が線路に入って鉄道事故に入って事故に遭遇したという事件がありました。

 

認知症って世間に理解されているようで実はされていませんね。わかっているようでわかっていない。

介護の仕事をしているから、なんとなくわかる部分はあります。しかし、介護の仕事をしていなければ、どんなことが起こるかはわかっても、そこまで大きな問題として捉えなかったのではないかと思います。

 

介護職だからこそ、思うこともあるので今回の事件について考察したい。

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事故の全貌

愛知県大府(おおぶ)市で鉄道事故に遭遇した認知症の男性=当時(91)=の遺族にJR東海が損害賠償を求めた民事訴訟は、社会に大きな議論を巻き起こした。

 

 平成28年3月に最高裁がJR側の訴えを棄却してから2年あまり。遺族が経過をたどる本を出版したり、各地で講演したりして“発信”を始めた。「私が話すことで、認知症への理解が深まれば」と話す。

 

 遺族は男性の長男で、大府市在住(67)。父親の認知症に気づいたのは、父親が84歳だった12年ごろだったという。父親は大府市内の自宅で母親と暮らしていたが、症状が進行。当時は東京の会社で働き、週末しか介護ができなかった長男さんに代わって、長男の妻が近くに移り住んで介護に加わった。

 

 「外出願望が強かったのが一番の悩みでした」と振り返る。勝手に出て行かないよう玄関にかんぬきをかければ扉を持ち上げようとし、門扉に南京錠を付ければ足をかけて乗り越えようとした。あきらめて施錠を解くと、嘘のように穏やかに。「父にとって施錠は、自由を奪われることだったんです」

 

 どうしても外に出たがるときは「お茶を飲もう」「テレビを見よう」と気をそらし、だめなら一緒に外に出る…。そんな繰り返しの7年間。家族は苦労の連続だったが、以前入院したときの混乱がひどく、認知症の症状も急激に進んだため、在宅介護以外の選択肢はなかったという。

 

 事故はそんな中で発生。

 

JR東海に提訴され、1審は長男と母親に全額賠償を命じた。「一瞬の隙もなく監視するなら施錠、監禁しかない。日々介護に奮闘している人がたくさんいるのに、こんな判決が確定したらとんでもない」。すぐに控訴を決めた。

 

 2審判決でも母親に賠償命令が出されたが、最高裁判決は、長男にも、母親にも監督義務はなかったと認定した。「認知症の人は増えていく。みなさんが地域で安心して過ごせるための礎となる判決を勝ち取ることができた」

 

何よりも訴えたいのは、「認知症は誰がなってもおかしくない、恥ずかしくない病気」ということだ。裁判の証拠集めで新聞記事を調べ、介護を苦にした無理心中を多数知った。

 

認知症の人は7年後には700万人、実に高齢者の5人に1人が発症するとされている。長男は「認知症の介護は本当に大変。内にこもらず、近所の人に協力してもらったり、家族の集いで愚痴を聞いてもらったりしてほしい。これからは、介護の応援団の一員としてやっていきたい」と力を込めた。

 

公的救済の拡大を

 

 事故は平成19年12月に発生。アルツハイマー型認知症で要介護4の認定を受けていた男性が線路に立っていたところ、電車にはねられ死亡した。22年、JR東海が振り替え輸送費用など約720万円の支払いを求めて提訴し、1審判決は妻と長男に全額を、2審判決は妻にのみ半額の賠償をそれぞれ命じたが、28年、最高裁は賠償義務をすべて否定し、JR東海の訴えを棄却した。

 

 最高裁第3小法廷は、単に「妻で同居しているから」「長男だから」などとの短絡的な責任追及を認めない一方で、同居の有無や親族関係、監護・介護の実態を「総合的に判断」すべきだという初判断を示し、賠償責任を認める余地も残した。被害回復を考えなければならないためだ。

 

 判決後、認知症の人が「加害者」になった場合の損害を補償する民間保険が多く誕生。神奈川県大和市と愛知県大府市は、認知症の人が支払う保険料を公費負担する制度を導入し、神戸市は公費から給付金を出し、賠償する制度を、全国で初めて創設した。

 

 しかしこうした施策を打ち出した自治体はほんの一部にすぎず、認知症の人の急速な増加には追いついていない。公的な救済策が、さらに広がることが望まれる。(加納裕子)

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考察

世の中もそうですけど、最高裁ですら認知症のことをほとんど理解してないというのがものすごくよく伝わりました。

 

全額損害賠償の請求を求めるあたりが大きな問題ですね。認知症を患った方にかかわったことのある人ならこんなことにはならなかったんじゃないかな。

 

介護者である長男の妻も限界じゃなかったのかと思う。一般的に「徘徊」という状況にあったわけですから相当にしんどかったと思います。

 

認知症の症状の中でも、介護職ですら大変な症状にもかかわらず、判決があり得ません。

施設に預けることも出来ず、病院に行くことも出来ず、家族は介護だけで自分の時間すらなかったのではないでしょうか。

 

預けることですべてが丸く収まるわけではないですけど、少しは家族も休めたのではないか。

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介護職として一番許せないこと

最高裁の言い放った言葉が一番あり得ない。

「一瞬の隙もなく監視するなら施錠、監禁しかない。日々介護に奮闘している人がたくさんいるのに、こんな判決が確定したらとんでもない」

もうあり得ません。

 

施錠監禁が許されるのであれば、施設でも家庭でもこんなに苦労はしていませんし、本人はどうなるんでしょうか。

 

監禁が許されるとこうなる。

介護が必要になる=施設に入る=牢獄に入る

 

許されていいものか!年をとって認知症になると自由すらなくなるのか。まるで罪人のように監禁され、与えられたことだけをするのは人道にあるまじき行為です。

長男だから?

長男だから親の面倒を見ないといけない?

違いますよね。

 

家族全員で見ないといけません。同居だからというのも違いますね。

 

家族でも見れないものは見れません。うまくいかない家庭だってあります。

地域で支えるは難しい

最近では「地域で支えましょう」とよく言いますけど、簡単なことではないです。

誰だって我がうちが大事ですし、人のことを心配する余裕すらない人だって大勢います。抱え込まないことは本当に大事だと思います。

 

ですが、抱え込みたくなる気持ちもすごくわかりますよね。

 

恥ずかしい病気・症状ではないですし、誰だってなる可能性があります。これは事実。しかもどのような症状が出て来るのか、家族に迷惑をかけないかを考えると相当に恐ろしいですね。

必ず事故は起きる

とは言え、認知症がなくなることは今の医療ではありません。進行を遅らせることは出来たとしても、治すことは出来ません。

 

地域や家庭で生活している限り認知症高齢者の事故は必ず起きます。断言できます。

 

だからと言って認知症の人を排除した方がいいとか、そういうものでもありませんね。

 

それでは最高裁と同じこと。自分の家族が同じ状況に陥った時に同じことが出来るか考えてみましょう。

 

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まとめ

認知症の患者は今後もどんどん増え続けます。しかし、介護の施設(老人ホーム)も少ないですし、何より介護の仕事をしている人も減りつつあります。

 

それだけでなく、いい人材の取り合い、退職も相次いでいます。

どうすれば、家庭で介護が出来るのか、施設で働く人材を確保できるかを本気で考えなければいけないのではないだろうか。

2050年には高齢者増加がピークを迎えるとしても、まだまだ考えなければいけない時期ではないかと思うのです。

認知症の患者さんを閉じ込めるのは簡単です。ですが、閉じ込めてはいけない理由を考えないとこの国は終わってしまいます。